“““語る理由…

“““語る理由…
先日 夫の幼馴染が
我が家に立ち寄った際
私に とても熱心に
カトリックの教義を
教えてくれました。
夜も遅いのに
声を大にして、
ツバを飛ばしながら…
30分以上 熱心に話して
くれた事には感謝だけど
私には 彼が帰った後に
夫がつぶやいた一言…
「人が、他人に
熱心に語る事っつーのは、
実は 自分が一番
納得したいと願ってる
事なんだよね」
の方が
ガツンときたなぁ
あ、カトリックがどうって
言いたいわけじゃないので
誤解のなきように。
彼の信仰の厚さは
素晴らしいです。
習慣で 日曜だけ
教会に通う
“サンデー・クリスチャン”
に終わる事なく
連休には イタリア中の
聖人に所縁のある地へ
足を運ぶ熱心さ。
だけれども、友達だから
わかる、心の闇。
傍観する側の
私から見ても
決して 心の平安が
あるようには感じられない。
“それしか知らない”
という事は
それにしか頼れない
という事。

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