”事件’にあって良かったです

”事件’にあって良かったです

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先日、いきなり

スマホ携帯が壊れました。

電車内で充電中、

いきなり携帯と充電器の

接続部分から火花が。

あっ、、、

と思った時は時すでに遅く

案の定、画面が真っ暗。

電源ボタン、スリープボタン、

そして意味もなく

音量ボタンまで

あらゆるボタンを押してみましたが…

無反応。

その後、修理店に持っていくも

「これ通電しちゃったね。

中が焼け焦げててダメだよ」

あっさり宣告。

以来、携帯のない生活になって

早数日が経とうとしています。

当初は、

「どうしよう~、携帯のない生活なんて

生きていけない!超不便!」

な毎日になる事を

予測していたのですが…

意外や意外、

全く不自由は感じていないどころか

むしろかえって穏やかな日々に

なっている自分に気がつきました。

元々、そんなに携帯依存ではないし

新機種をこぞって買うタイプでもない。

そう思っていたのですが、

なくなってから新しく気づいた事。

それは そんな私でも

事あるごとに

何かと携帯を触る生活に

なってしまっていたなぁ、

という事です。

朝起きたら、携帯の目覚ましを

止めたついでに

メールやメッセージチェック。

ご飯や移動時、

作業の合間にも

つい何となく

何かお知らせがないか

見てしまう。

何かしている最中でも

お知らせが届くと

気になって

開いてしまう。

寝る前も

「締め」のつもりで開いたら

またメッセージや

誰かの投稿が気になって

みてしまう…

要するに、一日中

何かしら携帯をみたり

いじったりする生活に

すっかりなっていたなぁ、

という事に気がついたわけです。

なくなってから考えてみると

それらのほとんどは

全く緊急性がなく

また必要な事でもなく、

知らない人の

今日の夕飯が

何だったかや、

しばらく会っていない知人が

出張帰りに新幹線に乗っている話など

自分の人生において

毒にはならないけれど

特別な恵みももたらさない情報や、

やりとりだったりするわけです。

ちょうど昨日も

ミラノへの出張があったので

電車で移動中の2時間半を

スマホを見る代わりに

読書で過ごしてみました。

そうしたところ、

たった2時間半で

30ページも読み進むことが

出来ました。

イタリア語の本でこのページ数ですから

これが、スラスラ読める日本語であったら

どれだけ読めた事でしょうか。

日々、どーでもいい事の

チェックのために費やす時間を

このように読書などにあてて

本当に自分に役立つ

時間として過ごせたら…

それが10分でも20分でも

積み重なって10年後には

大きな差となって

現れる事でしょう。

これを機会に

もっと自分で

携帯に触れる時間を

意識的に制限しよう…

これが、次の携帯を

買うまでの私の課題となりました。

壊れた時は

・どうしよう、不便

・予期せぬ出費が…

などと考えましたが、

取り戻せない時間について

気づかせてくれる、という

有難いプレゼントを

今回のプチ事件は

私に贈ってくれました。

人生は一度きり。

時間だけは、誰にでも平等です。

いかに有意義に使うかを

考えたいですね。

※そういうわけですので、

現在携帯は懐かしのガラケーです。

緊急時は

・通話

・SMS

でお願いいたします。

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