う〇こがビットコインより高くなる日

う〇こがビットコインより高くなる日

夕べ、イタリアで畑を守ってくれているパートナーと

話していて、衝撃的な事実を聞きました。

堆肥にする為の牛糞を仕入れるのに、

現地では一か月待ちだそうです。

我らの住む地域は、北イタリアの山間部。

牧畜が盛んな土地。

そんな、牛糞には事欠かないはずの環境において

食べ物づくりの生命線のひとつ、

堆肥を手に入れるのに

一か月も待つ状態になっている、との事。

うちは幸い、所有する空き土地で

放牧をしてくれている人がいるので

2トンも仕入れられたそうですが…

かつて、戦争で食べるものがなくなった時、

真っ先に亡くなっていったのは

お金持ちや医者・教員など

経済的・知的に高いレベルにいた

人達だったそうです。

一方で、死ぬことのなかったのは

食べ物を作っていた、農家の人達。

人が本当に飢えている時は、

どんなに金を積まれたって

かぼちゃ一個だって譲らないでしょう。

どんなに、窒素やカルシウムの

化学式や反応具合を知っていても、

キュウリの種の蒔きどきを知らなければ

収穫にありつけません。

スマホやフェラーリが

なくなっても生きては行けるけど

米と塩がなくなったら

私たちは生きていけない。

それは事実です。

そして、かつては

いつでも手に入った、

いや、むしろ余って

農場に放置されていた牛糞が、

手に入りづらくなっている。

しかも牧畜の地で。

これは何を意味するのか。

私たちが向かってきた道、

そして向かうべき道について

考えさせられた一件でした。



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=825815400934243&set=a.146854048830385.1073741825.100005173711139&type=3

Follow me!