日本のハロウィンがこんなに薄っぺらい理由
今年もやってきました。ゲンダイ日本のおかしな所を凝縮して見せてくれるイベント、ハロウィン。
お祭りの意味も考えず なんとなく大勢に乗って祝ってしまう 団体主義と思考力のなさ。
ここぞとばかりにマーケット化し その場かぎりの消費をあおる市場やマスコミ。
自分だけのインスタ映えや目立つことが最優先で そのためには公共の場でのモラルも簡単にないことにする人たち。
無責任なバカ騒ぎを助長するかのように トイレやメイク室 警備まで万全に配置しちゃう「サービス」。
ついに今年は テレビでも「もはや暴動」と言われるように 逮捕者や無関係のトラックを横転させる犯罪にまでエスカレートしました。
(…この方々まさか 「キャンディくれなかったから”トリック オア トリート”のトリックしたんです~」とか言わないでしょうね。)
日本でのハロウィンの迎え方が それこそ かぼちゃのランタンの如く中身のない軽薄なものになっている理由は 単に外来のお祭りってだけではないと 私は感じている。
このお祭りの意味や起源は ネットにいくらでも溢れてるので説明は他に譲るとして
ハロウィンに限らずどんなお祭りも 本来は「自然との共生」で生まれたもの。
自然に感謝する収穫祭。
乾季に雨乞いの意味を込めた踊り…
我が力ではどうにもできない自然に対し 畏敬の念や感動、ときに恨みつらみからくる祈りが発展したのが祭りなのでしょう。
国・民族は違えど その根本は一致している。
今 イタリアの大地で 日々クワやスキをふるって生活していると 伝統的なお祭りの時期は 実に自然のリズムに即している、と実感する。
10月末。
大体の農作物の収穫時期も終わり 精神的に一段落すると共に
緯度の高いヨーロッパでは 日に日に日照時間が心細くなっていく。
肌寒く 果実も 色鮮やかな葉っぱ達もほぼ去った畑を前に 当時の人たちは どんな思いをしていただろうか?
エアコンもなく 居間に唯一の薪暖炉に家族が身を寄せ合っていた時代 来るべき長い冬を どのように捉えていただろうか…
また 秋冬に天気が悪く湿度も高くなりがちなヨーロッパでは どんより湿った空に それこそ「悪霊」をイメージしただろうことは 想像に難くないと思う。
そう 想像するってこと。
それがあれば こんな事態にはならないのではなかろうか?
お祭りの意味、ハロウィン時期に仕事で渋谷を通らねばならない他の人の気持ち、宴のあと自分が置き去ったゴミを翌朝拾う人のこと…
年中快適気温の室内、なんでもレンジでチンの「料理」、スマホで自分の好んだ世界だけに入り浸れる生活…
自然から断絶された快適温室生活を当たり前にしていたら そりゃあ 想像するのも難しかろう。快適だけど 人としてのストレスはたまるから どこかで発散したくなる。それはわかる。
ただ この想像力の欠如ってことが 空虚なハロウィン始め 他のいろいろなお祭り・イベント、そしてモンスターなんちゃら・パワハラ モラハラ エトセトラ… 今の日本の なんかどっかズレてる感、行きすぎてるギスギス感の元になってる気が私はしていて そういう意味では このハロウィン騒ぎは 何かを考えるいいきっかけなのではないかなぁ と思っている。
写真は 我が家で採れた不思議な形のかぼちゃ始め 近所の秋らしい風景たち。このかぼちゃは スープにすると美味しいとか♪
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こんにちは!ちはらです。
ハロウィン騒ぎに 同感!同感!同感!ニュースを見て悲しくなります。
写真綺麗♡秋ですねえ。
ちはらさま
同感×3 ありがとうございます(ガッテンのボタンも押してたのでは 心で)
モラル度の高いことこそ日本人の強みの一つで 海外でもよく誉められる点です。そこは失わないようにしたいですね…