こうして私はある時から 堂々と料理をしなくなった。

カップルの形、「男女」の形、それぞれの形…

我が家での夕飯は 大抵彼が作ります。

それは 話し合って決めたわけでも 私が無理強いしたわけでもなく いつの間にか自然にそうなっていた。

…最初は 私がイタリア料理のレシピや食材を知らないから 彼の方が料理上手に見えるだけ…と思っていた。

しかし実際は 本当に彼の方が料理が上手で しかも「好きこそ物の」で かなうわけのない歴然とした差であったのだ。

自分が「今夜 何にしよう…」と メニューを考える時点で憂うつになっている間に 彼が「今夜は◯◯にしようか」と 軽々とメニューを思いつき いそいそと買い物に行き 嬉々としてキッチンに向かう。

今日のように 私が山からの帰り際にキノコを見つけ 帰宅時得意げに披露した時 「キノコのリゾットがいいね♪サフランも入れて」と すぐに美味しそうなアイディアが浮かぶのも 彼である。

一方私は 焼くか味噌汁に入れる、頑張ってパスタくらいしか思い浮かばない。

いざキッチンに立った時も 私がちまちまと作業をする一方で 彼はいかにもオトコの料理というか 動きは雑で キッチンもめっちゃ汚すが、出来上がる直前に 意外なハーブをバラバラ振り入れて 絶妙な味を出したり、それ入れすぎちゃう?と思う食材やスパイスが 結果ベストバランスだったり…と ダイナミックかつアーティスティックな料理を毎回こしらえるのである。

かなり最近まで私は そんな彼と比較して嫉妬してみたり 自己嫌悪に陥ってみたり はたまた無駄な対抗意識で頑張ってみたりしていた。なぜなら 私はケッコンした「妻」であり 一応「主婦」であったから。

しかしある時 ついに私はあきらめた。自分自身に対して 「私は 食べるのは大好きだけど 作るのは嫌いなダメ女です」と認めた。

そして 夕飯を無理に考えることも 恐る恐るやめてみた。

するとどうだろう。彼は 私を責めるどころか 何事もなかったように いつも通りの夜が過ぎていく。彼は楽しげにビールを飲みながら鍋をのぞき込み 嬉しそうに私に味見を迫ってくる。

「人の為に料理を作るのが楽しい」と言う彼だが 皿洗いは嫌い。一方私は 皿洗いなら好きであるので 自然と 彼が作って 私は後片付け…となる。それが大変 心地よい。

なんだ。こんなに絶妙に役割バランスが取れていたではないか。

いや よく考えてみたら 結構前からそのスタイルになっていたのであるが

私が勝手に「女」として 「妻」として こうあらねば、と 思い込み 現状を認めず頑張っていただけだったのだ。自分が 認めるかどうかの違いだけで 環境は何も変わっていなかったし 彼も 何も気に留めていなかった。

21世紀も もう18年過ぎました。LGBTやジェンダー・フリーの考えなど 日本でも盛り上がりつつあり 自分も 大いに共感し オープンマインドになっていたつもりだったけれど 何気にまだまだ ジェンダー・バイアスかかった頭だったんだなぁ と 気づかされました。

「ねば」に縛られると 自分も苦しいし 相手との関係も 見えなくしてしまうことがある。

あなたも 何か今 不自由に感じることを抱えているとしたら まずは自分で それを認めてみてはどうだろう。

意外に 周りは何も変わらず 1人で思い悩んでただけ…ってことが わかるかもね♪

今は私も もう堂々とソファに居座って 台所に立つ彼を頼もしく眺め 子供のように傍からのぞき 味見を楽しみにテーブルセッティングだけをしている。

それで いいのだ。

写真は 我が家の めっちゃ使い勝手のいいキッチンと 彼が作った今日の一皿。食材は全部畑から☆

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