レインボーに寄せて…ケッコンという夢と壁

結婚とは 社会契約である。

 

…そう私が言ったのは

まだ25・6歳の時で

その時 私とちょっと

仲良くなりたかった

60代のおっさんは

私をほんわか天然系と

思いこんでいたので

驚くと共に

ちょっと引いていたようだ。

 

結婚なんて

まだまだと思っていた頃から

現実主義で

どこか冷めていた私ですが

 

それは たまたま

国際結婚というものを

することになり

より実感しました。

 

日本で 日本人同士の男女が

結婚する時は

紙切れ一枚 役所に提出で完了。

 

一方 相手がガイジンの場合は

大変面倒な手続きが待っている。

 

両方の国の

ケッコンの規定を満たすべく

様々な手続きや書類が必要。

 

ガイジンとして住むことになる

相手の国に対して

身分と 怪しくない事を

証明する

各種書類の提出。

 

その為に

日本からたくさんの書類を取り寄せ

翻訳し

イタリアの大使館や

現地の役所を何度も

行ったり来たりして

ようやく

ケッコンというものが

法的に認められます。

 

好きとか嫌いとかの問題じゃなく

法にのっとった手続きをしなければ

一緒にすらいられない。

 

法的な資格を得られなければ

一緒にいられる期間は

ツーリストとして限界の

三か月間のみ。

 

それが 社会の現実です。

 

とっても面倒くさかったけれど

その手続きを経たとたんに

イタリアの戸籍に登録でき

IDカードがもらえ

銀行口座も開けるようになり

彼の扶養にもなれ…

 

法的な力というのは

すごいものだなぁ。

 

そしてやはり

結婚とは 社会契約であるのだ。

 

ということを

身にしみた経験でした。

 

GWの今 同時に開催中の

レインボー・ウィーク。

 

LGBTの方々の活動を見て

「彼らは一体 何がしたいの?」

「単なる性的嗜好でしょ」

という声も 耳にします。

 

 

私の意見では

そんな浅いところで

とどまるものでは

ないと思います。

 

生物学的な

男同士、あるいは女同士が

お互い好きになり

ずっと一緒にいたいと思う。

 

しかし

一般的なケッコンの形…

「男女が法的な婚姻関係を保証される」

ことができない。

 

そのことで 普通

結婚したことで当然できること…

 

◆いざ、パートナーが重大な

病気になった時…

・身内として付き添えない。

・病状を聞けない。

・治療方針に、意見も言えない。

・手術や処置の承諾書に

サインができない。

 

◆パートナーが亡くなった時…

・喪主になれない。

・死亡保険を受け取れない。

・財産分与に関われない。

 

…などなど

法的に認められない事で

様々な弊害が出るのです。

 

「普通」のカップルと同じ

愛し合って

ずっと一緒にいる

二人なのに。

 

いざという時に

「決まりだから」と

ドライな回答で

お互いに助け合えないのは

悲しいことではないかしら。

 

そんな シンプルなことが

可能になる世の中を

LGBTの当事者の方々は

求めているんだと

私は理解しています。

 

それは 単に

「私はチーズケーキが好き」

と同じ 嗜好の問題ではなく

人権に関わる問題では

ないでしょうか?

 

私の場合は

たまたま国際結婚で

ちょっと似た状況があった

幸運さがあるから

理解しやすいのかも

知れないけれど

何か 新しくて

わからない事がある時って

少し

想像力を働かせてみると

見えてくる事って

いっぱいあるもの。

 

参考までに…

2013年に

ニュージーランドにて

同性愛者の結婚が

法的に認められた時の

スピーチをご覧ください。

→ https://www.youtube.com/watch?v=UjkWwmW4PCg

 

ユーモアを交えつつも

端的に鋭く

本質をついていると思います。

 

LGBTのシンボル、

レインボー・ウィーク。

 

特に5月5日・6日は

イベント目白押しです。

渋谷や代々木公園にて。

 

※画像は、赤羽馬鹿祭りのパレード前。

 

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